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新英語教育研究会神奈川支部HP

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★2003.1 児玉房子さん

●講演:「軍隊を捨てた国 コスタリカ」

児玉 房子さん(ガラス絵作家)

◆ 新英研関東ブロック集会2003年1月5日(日)東京代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターにて行われた講演。我々がいかに知らされていないかが痛感されました。軍隊を持たずに53年もやってきた国があったなんて!(それもアメリカのすぐそばで。) お話をうかがって希望が湧いてきました。

(1)紹介
・ 1941年生まれ日本美術会会員、日本ガラス絵協会会員。

・ 著書:『ガラス絵に魅せられて 42歳・女の旅立ち』(新日本出版社1993年)、『コスタリカ讃歌』(草の根出版会)2200円

・ 現在の暮らし;もともとは東京在住だが、絵描きは収入が少ないので、暮らしやすい岩手県遠野に移り、6年間休んでいた田んぼ600坪50万円で購入。ほとんど自給自足の生活、一ヶ月3万で暮らしている。以前は山羊3頭とニワトリ20羽を飼っていた。(いざとなったら遠野で暮らすというのも選択肢としてありですね)

(2)コスタリカ
・ コスタリカと日本:この2つの国は憲法で軍隊を持たないと謳っている(しかし現実の有り様はあまりにも対照的!) コスタリカとはスペイン語で「豊かな海岸」の意味。隣国がニカラグアとパナマ。農民が多い。1871年から脱宗教。年間予算は2000億円(イージス艦一隻1300億円と比べてみよう!) 医療費無料。インテルが工場を造っている。国土の25%が国立公園になっており、エコツアーによる観光やバナナの栽培が主な収入。面積は5万5000平方キロ(九州と四国を合わせた大きさ)。人口353万人。

・ コスタリカの歩み;1948年選挙後の政権交代をめぐって内戦があった。6週間で2000人が死亡。野党のホセ・フィゲーレスが勝って終結。国防省の大臣が奥さんに「軍隊は金食い虫だ。なくそうと思うけど、どうだろう?」と言って相談。その後、議会にかけ、軍隊廃止を決定。軍事費を教育費に回した。

・ コスタリカの気風:コスタリカ国民には対話を重んじる気風がある(児玉さんがわざとワーッと結論を言ったら「結論をすぐに出さないでください。議論を積み上げましょう」と言われたこともあるそうです)。国連平和大学がある。

・ コスタリカの選挙:大統領は任期4年で一生に一期のみ。議員は4年したら4年休まなければならない。副大統領は女性。選挙の時は「選挙最高裁判所」が警察権力を持ち、不正を防ぐ。5年在住で外国人(35000人)にも参政権。子どもたちも支持する選挙事務所に行って積極的に運動している(手伝うとご飯が出る! 気に入らなければ他の候補の所へ行くという批判精神も子どもたちにはある)。

・ 中東和平への貢献:1983年をピークとしたアメリカによる中米諸国への介入。(60年代から36年間のグアテマラ、ニカラグア内戦。米国は70年前から介入。)コスタリカに基地を置かせてくれと言ってきたアメリカに対してモンヘ大統領は「永久的非武装」「積極的中立」を宣言。次期のアリエス大統領(当時43歳)はアメリカと組むと言っていた候補に勝って就任。アメリカの介入を防ぐように訴えるヨーロッパでの遊説をしつつ、中東紛争を解決するテーブルを国に設けた。その功績によりノーベル平和賞を受賞。

(3)コスタリカと児玉さん
・ コスタリカと児玉さんの出会い;10年前にコロンビアに行こうと思い、パナマ滞在中、自転車でアメリカ横断旅行中の友人がコスタリカで肺炎で入院しているという知らせを受け、旅程を変更し1ヶ月つきそって看病した。そのときにコスタリカの人々は見舞いに来ると気さくに話しかけてきたり歌を歌ったり賑やかだった。10歳の男の子が「僕たちは戦争をしません」と話しかけてきたので、政治的な子どもだなと訝しく感じたがそのときはあまり気に留めなかった。

・ コスタリカとの再会:帰国して長崎に住んだとき、二次被爆した経験を持つ女性が「人間は闘争本能があるから、戦争はなくならないと思う。児玉さん、どう思う?」と問われて、「どう思うっていっても…」と答えに窮してしまった。そこで信頼できる3人の友人に質問したら全員から否定的な答えが返ってきて児玉さんは鬱状態になってしまった。「自分は首相でも大統領でもないし、日本を背負っているわけでもない」と思ってみても気分は晴れなかった。そんな頃、長崎に住む女性でお兄さんを戦争で亡くし「小国民資料館」を作り戦争の遺物を展示していた人に出会った。そこで「コスタリカは軍隊がないそうです」と話したら、戦争をなくそうとずーっと考えてきた人だったので、すぐリンク(!)して「児玉さん、コスタリカに行ってください。そして平和の絵を描いてきてください。ここで展覧会をしますから」と言って旅費も出してくれた。(これって、ノーベル賞をとった野依教授の言う「セレンディピティ」ですよね。問題意識を温め続けているとこういう奇跡が起こるのです!) そこからスタートし全国でガラス絵の展覧会をするようになった。取材した新聞記者が「載せますね」と言っていても載らないことが多かったが、新聞・マスコミの対応がここ3年変わってきた。

(4)ルーマニア
・ ルーマニアの今:ガラス絵のルーツを求めて訪れたルーマニア。1989年チャウシェスク政権のもとで起きた動乱で、武器を持たず無抵抗でいた市民が秘密警察に射殺された。残された遺族はその雄志をたたえ十字架を立てた。(『ガラス絵に魅せられて』参照) そして10年後訪れた児玉さんはその十字架がないのでビックリ。近所の人に聞くと「家族が維持できなかっただけ」と冷たい返答。テレビは各国の放送が入り、ありとあらゆる商品コマーシャルが流れる。ルーマニアは急激に西欧諸国の市場となり、物質文明に冒されていたのであった。合成洗剤によって川は汚染され、排気ガスもすごい。これからは草の根レベルの交流が必要だと思う。

(5)映画
・ 映画『軍隊をすてた国』:早乙女勝元さんのお嬢さんの早乙女愛さんがプロデュース。200人集めれば自主上映会が可能。

・ 子どもたち:小学生たちが「子どもの権利は?」と問われて「遊ぶことと愛されること!」と元気いっぱいに答える。このシーンは印象的だった。

・ 沖縄とのつながり:映画の場面転換の時に踊りを披露する女性は1995年の沖縄の8万人集会(1995年9月米軍人に少女がレイプされた事件への抗議集会)の時の高校生代表だった人。(『Feel in Okinawaハイサイ沖縄』桐原書店を参考)


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